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古民家ヒストリー

一棟貸切の古民家宿「笠松亭」は、明治初期に建てられ、当時そのままの姿を残す古民家を再生しています。
母屋だけでなく、蔵、長屋や周辺の山林、母屋前の畑まで丸ごと古民家宿として貸し出しています。

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広大な面積が、お泊りになる皆さんだけの空間になります。
特別な時間、思い出になる時間をご提供します。

「笠松亭」の建物について

この古民家は『笠松家住宅』という建物です。
建築年は地域に残る文献から明治初期といわれています。
約130~150年を経過した重厚な茅葺き住宅です。

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昔からある日本家屋の建築様式、母屋、蔵、長屋という構成です。
これも建築当時から変わらず、手が入っていないまま昔と同じ姿で残っています。このような家屋は今ではなかなかみることが出来ません。古民家といえども、何か手が入っていたり、改装がされていたりすることが多く、この笠松邸のように当時のまま残っていることはとっても珍しいのではないかと思っています。

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また、敷地内には谷川より水を取り入れ野菜や食器を洗ったりする水槽や、その水をオーバーフローさせた池を配し、鯉なども飼われています。

母屋を囲うようにある畑や森林、そして谷川。
これらも全て笠松住宅のものです。
「笠松亭」に宿泊されるゲスト様には、その広大な面積を自由に利用・自分だけの場所として利用していただけます。

「笠松亭」の歴史

この笠松家は、江戸時代の大庄屋『笠松左太夫』の流れをくむ家系です。
清水・小峠地域の有力者の住宅として、比較的大きな規模を有するおうちでした。

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かつて、この地域は紙すきの郷として栄えていました。
話は江戸時代初期にさかのぼります。

徳川家康の十男で紀州の殿様の徳川頼宣公は領内に「三白」と言われる重要な産物の米・塩・紙のうち、製紙だけが紀州和歌山に無かったため、この生産を当地大庄屋である笠松左太夫に命じました。この命を受けた左太夫は、小峠地区に紙すき屋22軒を誕生させました。その紙は『保田紙』として昭和40年代まで引き継がれました。

▷▷保田紙について詳しくは有田川町のホームページに掲載されています。体験もできます。

現在では紙をすく民家もなくなり保田紙の存続は一カ所のみで続けられていますが、笠松住宅でも紙をすいていた名残があります。

このような歴史を有し、名家として栄えた笠松住宅。
しかし家主の転居により昭和の終わり頃から住宅として使用されなくなりました。
その後は地域の集会所として活用されていましたが、それも10数年前に新たな集会所が出来たため、完全な空き家となっておりました。

それから現在に至り、宿として再生されることとなりました。
宿として活用できると判断したのは、奇跡的に建物と景観が昔ながらのままで守られていたからです。そして今なら、この風景や建物に価値を感じて「泊まりたい」と思ってくださる人が多いのではないかと考えたからです。

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「山村の生活をここで実際に体験していただきたい」
「この家がふるさとと思っていただきたい」

それが私たち運営者の思いです。
それを実現するため、出来るだけ昔の姿を残しつつ、水回りは最新設備を入れて衛生面と快適さを宿としてご提供しています。

古民家を再生するというのは並大抵のことではありません。
色んな不具合や、予期していなかったことが次から次と出てきましたが、改修して泊まっていただけるところまで辿り着けたことは本当に嬉しく思います。

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